
こんにちは!nemu(@nemusblog)です。
昨年末から受験・準備をしていた進路について、やっとご報告できることになりました🎈
この度、3年分の全額給付型奨学金をいただき、この分野で世界トップのロンドンの大学院へPhD学生として進学することになりました。
既存の研究への参加ではなく、自主的に提案した研究プロポーザルでの採択、
そしてプライベートでは6年間の遠距離を経て、今年結婚したパートナーとも一緒に過ごせることになります。💓
全てがベストな、本当に夢のような機会が重なっての今回の進路。
大学院、そして奨学金の両方の合格がなければ進学ができなかったこともあり、たくさんの方にアドバイスをいただき、掴むことのできた機会となりました。
今回は、なぜ国連を辞めてPhDに行くのか?どのようなスケジュールで動いたのか?について、簡単にまとめたいと思います✍️
Contents
元々、博士を視野に入れていたわけではなかった
国連に入ったころは、他の多くの方々のように「生き残り」を目指し、そもそも自身は実践>アカデミック寄りと認識していたこともあり、博士課程はいつかは…と思いつつ、それほど考えていませんでした。

その「いつかは…」の理由も、当時受かりやすいと聞いていた穴場の奨学金の受給条件が【社会人経験3年以上】だったから。JPO1年目のタイミングで社会人3年目を満たしたことで、なんとなくもし博士号受けるなら奨学金はこれかな、ということで頭の片隅に入れていました。
ただ、JPO2年目に入り、ポスト獲得へ本腰を入れないと…というタイミングで、少しずつ自分の中に目の前に敷かれたレールへの違和感が。それについては、前回の記事で詳しく紹介しています。

この辺りは本当に悩み、2年目の前半はコーチングやメンターにとにかくお世話になった時期。
JPO制度はそういったキャリア支援が充実していて、世界各国の専門家の方々に話を伺いながら、自分が心からやりたいことは何か?を自問し続けました。
「ずっとやりたいことを続けたい」「でもプライベートも大切にしたい」「組織には残れるけど、分野や国の希望を叶えるのは難しい」…そんな悩みに、本当に苦しみ続けた日々でした。
博士課程は「ずっとやりたいキャリアを続ける」ための切符
そんな中、自身の希望を全て叶える選択として出てきたのがPhD進学。
自分はアカデミックな人間ではない、頭も良くない、とはなから無理だと思っていた一方、上記の悩みに加え、国連で働く中で感じた専門性の重要性を踏まえても最適なのかもしれない、と考えるように。

詳しい進学理由については後々別記事でまとめます!
ちょうどそのタイミング、昨年の10月頃、イギリスの博士課程に在学中のある方のお話をオンラインで聞く機会が。
仕事をしながら片耳で聞いていたのですが、その方が「PhD取得は、ずっとやりたいことを続けるために必須だと思って」と話していました。その方はパートナーと暮らし、現在お子さんもいらっしゃる先輩でした。
その話を聞いて、これだ、と手が止まった覚えています。すぐに彼女のインタビュー記事やラジオに全て目(と耳?)を通し、メールをして西アフリカからイギリスのオックスフォードまで会いに行きました。それが11月。
大変ありがたいことに、研究の合間に時間を取ってくださり、博士課程の生活やその後のキャリア機会について、お話を伺いました。
当時は、もう来年(今年)入学は無理だと思っていました。奨学金も間に合わないし、そもそも大学の目処も立っていない。
受けるなら2年後入学かな、と先輩に話すと「まだ絶対間に合うよ」と声をかけていただき、具体的な受験スケジュールや、今から間に合う奨学金なども教えていただきました。
アフリカに帰国後、いくつか気になっていた大学の応募条件などを具体的に見て、受けようと決意したのは12月。応募締切は1月頭だったのですが、PhDはMasterと異なり、まず教授と連絡を取る必要があります。
イギリスの教授は12月中旬から1月頭までクリスマス休暇に入るので、プロポーザルを作り依頼するまで2週間もない日程。初めて書く研究プロポーザル。文献は2週間で200以上読み、自分が国連勤務の中で感じた課題なども踏まえて作成しました。
正月の帰省中にプロポーザル完成、結婚式翌日に奨学金面談
こんなに急に決めた受験で、一番迷惑をかけ、理解をしてくれたのは家族でした。
年末年始、日本へ向かう空港で「どうしても受かりたいから、正月は部屋に篭るかも」と連絡したことを覚えています。
加えて、応募して最終的に面接まで辿り着いた財団との面接日程は、なんと結婚式の翌日。
これだけ周りを巻き込んで受からなかったら、という申し訳なさや、全部とても倍率が高いのにそれに全部受からないと実現できない(大学院と奨学金の2つ以外に、ビザ条件や仕事の調整など諸々ありました)という事実、
結婚式準備もあり、ストレスから結婚式数日前に倒れて初救急車を経験したりもしました。大学院前は病みがちなのは私の特徴のようです…

PhDの面接も全然できなくて、当時の日記を見返すとメンタルがずたぼろだったなと。でも、じゃあ他に心から望む進路がないことは、過去数ヶ月の自問自答でわかっていたので、本当にこれしかない、崖っぶちの挑戦でした。
3年分の奨学金×提案したプロポーザルでの進学が決定
これまでの仕事で感じた疑問や課題、そして既存の研究との空白を踏まえて提案した研究案を、ありがたいことに各所から認めてもらうことができ
今後3年間の全額給付での民間奨学金、そして私自身が生涯かけて関わり続けたいと思っているアフリカ仏語圏の子どもの栄養改善の分野で進学を叶えることができました。
また、大学院(修士)時代に出会ったロンドンに住むパートナーとは、6年の遠距離を経てやっと一緒に過ごす日々を始めることができそうです。
私の分野で最適な大学院が、たまたまパートナーの家から10分の距離にあるって、それもまた運命みたいだなと思ったりします。
今回の合格の要因は?
今回は要因分析するほど私の努力によるものではなく、本当に運と周りの人からのサポートによるものだと思っているのですが
PhDと奨学金の受験対策に関しては2つだけ。
小手先の合格テクニック的なものは、今後ゆっくり発信できたらと思います。
①受験勉強の基礎ができていた
Xでも記載しましたが、今回は時間が限られすぎていたこともあり、1からやれ想定質問、やれ模擬面接、といった時間の余裕は全くありませんでした。
ただ、JPO受験やその後のポスト獲得の中で得た面接対策ノウハウ的なものが、いつの間にか自分の身になっていたようで
限られた時間の中で効率良く準備を進めることができたと感じています(こういうのも全部発信していきたいと思っています)。

聞かれそうな質問も場数を踏んで的中率が当たるようになっていました。
と言っても初アカデミックの面接は結果ぼろぼろだったのですが、それでも「慣れ」はいくらか支えになってくれたようです。
②「これしかない」の自信が諦めないことに繋がった
既述の通り、たくさん悩んで「もうこれ以外ない」と知っていたからこそ、中途半端にはなれないというか、
全身全霊で受験対策に力を入れることができました。
自分は頭の良い人間ではないし、対策の中で何度も「こんなの私には無理だ。。。」という瞬間が訪れたのですが、でもじゃあって他にないじゃん、やるしかない!と思えたのは
それまでに自分の思考を整理できたからだと思います。

コーチングにはこのような効果があることも知り、今回は組織負担でしたが今後は自分でも投資していきたいなと思っています。
ただ、今回は受験中に出会った方々にたくさんのアドバイスをいただいて、どなたか一人でも欠けていたらこんな機会には恵まれていなかったのでは、それほど今回は周りの人にお世話になったばかりの進路決定でした(繋いでくださった方、お話を聞かせてくださった方、本当にありがとうございました)。
そんな感謝を、私も繋いでいきたいと思い、今年の夏頃からSNS発信にも力を入れるようになっています。フォローしてくださっている方々、本当にありがとうございます!
今後のこと、これからのこと
たくさんの人の出会いに恵まれて得ることのできた今回の機会。
期待に応えないと、というプレッシャー以上に、自分が心からやりたい研究、学びを先3年以上深められることは、もう楽しみでしかありません。
5年間社会人を経験したこのタイミングで学生に戻り、これまでの勤務の中で出会った課題をより良い形で解決できる人材になれるよう、相変わらず頑張っていきたいと思います。
国連で働くという大きな目標を叶えた今、目標を達成するためではなく、純粋に自分が心から望む人生を選択できている今のライフステージがとても新鮮で、わくわくしています。
1年、2年と先に見える景色は、今のところ全く想定できていませんが、それは自分が自由に描けるということ。
振り返った時、この選択をして良かったと思えるように、新たな挑戦も楽しんでいきたいです🌸
また、今後はベースをロンドンとしつつ、研究対象はアフリカ、また学会などで日本にも頻繁に訪れる予定です。
仕事の立場がなくなった今、もっとフラットにいろんな方との交流機会も増やしていきたいと思っているので、引き続きどうぞよろしくお願いします!