【国連からPhDへ】30歳、キャリアの目標を達成した後に見えた、「自分のため」の人生

こんにちは!nemu(@nemusblog)です。

25歳でブログを始めてもう6年。毎年、この時期に1年を振り返る記事を書いています。

去年は、スリランカのアユールヴェーダ施設に滞在しながら書いた20代の振り返り記事。

30歳の誕生日に振り返る、20代の10の学び

南アジアでヨガやアユールヴェーダ、瞑想に囲まれて1人でゆっくり過ごす時間が好きになり、この年末も同じく南アジアの山奥に籠もっています。

20代後半、たくさん悩んで出した答えを歩んだこの1年。

変化や挑戦を経て得た気づきをまとめてみます。

やっぱり仕事に人生は委ねられない

ずっと頭ではわかっていたこと、そして私自身に直接大きな影響が出ていたわけではないのですが、アメリカの資金停止の影響で、国連の多くのスタッフの雇用が切られる、というのを目の当たりにした一年でした。

国連の雇用が不安定なことなんて百も承知ではあったものの、勤務年数や能力関係なくばっさりと切られていくこと、その1人1人の背景には、仕事を辞めてずっと着いてきたパートナーや、友達との別れ複数言語習得など様々な試練を乗り越えて一緒に来た子どもたちがいることを知っていたからこそ、自分の今後の立ち回り自体も考えるきっかけになりました。

それまでは、国連に残’れ’ることが「すごい」と思っていました。もちろん残るために高い能力が求められることには変わらないのですが、これだけ翻弄される選択肢を選び続けることが「すごい」んだな、という思いに変わった出来事でもありました。

nemu
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そんな状況でも、次に向けて動いている先輩方はたくさんいます。その覚悟やスキルを私も得れるまで、私はまだまだ修行が必要そうです。

キャリアの達成だけでは経験できない幸せがある

もう仕事にはある程度満足できた、という感覚を抱いた1年前。今年、そこからまた一歩踏み出そうと思った理由は、これ以上キャリアだけを追い求めても今以上には幸せだと感じられないんだろうな、と気付いたことがきっかけでした。

JPO2年目を終えて感じている本音と、これからのこと

20代の頃、同じく国際協力を語っていた友人がいつしか日本に落ち着き始めるのを横目に、「そんな中途半端な思いだったのかな」と寂しく思ったのを覚えています。でも、振り返るとあれは自分が青くて何も見えていなかったんだな、と。

当時「大人だ」と思い込んでいた自分は、誰かのためにごはんを作る嬉しさ、街で見つけたお菓子を見て「パートナーが喜ぶかな」と買って持って帰る時の気持ち、玄関が見えて走り出したくなる感覚、そういうのを何も知りませんでした。

もしかしたら、いやきっと、キャリアや自分に満足できるようになったから、そんな感覚に目を向ける余裕が出てきたのかもしれません。

家族や結婚に時間を使うなんて、と特に新卒の頃の自分は思っていました。今は闘う時期だろと。でも闘って、全部得て、西アフリカの国連で働きながらも、一人の部屋に戻ってはYoutubeを見ながら夕食をかき込み、空き時間でSNSで時間を「溶かす」ことが、ずっと得たかった毎日ではないような気がしました。

ずっと国際協力を続けていきたいからこそ、そんな疑問への答えを探すように、今年から新しい一歩を踏み出しています。今のところ、後悔は一つもありません。

大切な人たちと過ごす日常がプライスレス

日本での結婚式、国連退職後には母とスペインのカミーノ巡礼。そして秋からは新婚生活へ。

能力や肩書ではなく、そのままの自分として過ごせる人たちとの時間は、この仕事をしているとどうしても後回しになりがちでした。今年はそんな時間を少しずつ増やすことができて、今までキラキラとしたキャリアの中でポッカリと空いていた穴が、少しずつ、じんわり温かく埋まってきているような気がします。

えー歳を取ったのかな!と思ったりもしますが、何もなく焦っていた若い頃よりも、ちょっとこうやって落ち着いて満足している今が好きだったりします。

nemu
nemu

余談ですが、イギリスで学生に戻ったため最近年齢が下の方とお話することも増えて(嬉しい)、えーこんな絵文字使ったらおばさんと思われるのかな!とびくびくしてます。笑 後輩が誰もいなかった日々、年下の人と関われるのは社会人生活で初だったりします。

「いい仕事のため」の修士号取得から、「もっと学びたい」博士課程へ

国際協力って修士号がデフォルトみたいなとこがあって、資格のように「得る」ためだったイギリス大学院留学。そこから5年働いて出てきた疑問を解決したく、「学ぶ」ために今博士課程に来ています。

これが新鮮でとても楽しい。思えば当たり前のように学士課程に行き、資格取得のように修士課程に行ったから、ただ「学びたい」って初めてかもしれない。しかも、3-4年も費やせることが、今はとても贅沢に感じています。

もちろん修士課程も学ぶためなのですが、英語も不慣れでテストや課題に追われていた私は、じっくり学問云々、というよりこなすので精一杯でした。

あと、仕事ってわりと立ち位置というかPolitical willが前提になりがちだと思うのですが(組織に属している以上当たり前ですね)、研究ってそこがちょっと仕事より薄くてそれも好きです。

もちろんどこから研究資金が来るか、Fundingをもらうか、でそういうWillが付随することもあるのですが、自己プロポーザルでPhDオファーをもらうとそこも薄く、それも嬉しい点だったりします。

国際協力は、自分のポストを作るためにやってるわけでも、ドナーを喜ばせるためにやるわけでもなく、現地の人たちのためなので、そんなWillが付随しづらい今の立場を存分に活用して良い研究をしていきたいと思います。

自分の経験が誰かの役に立つ嬉しさ

仕事を辞めたので、念願の個別相談やXでの発信の強化を始めました。今は5000人弱の方にフォローいただいています、嬉しい!

自分が悩んできたこと、わからなかったことを、これからこの道を目指す人に伝えられるのは本当に嬉しいと感じています。ブログにも何度も書いていますが、帰国子女、学費は親負担、都会育ち、などという(国連に多い)人たちばかりでなく

私のような上記と逆の人にも同じように夢を目指してほしい、そしてそのために必要なノウハウは全部ばらまきたい、と思ってやっています。

試行錯誤中なので、何かご意見があればいつでもご連絡ください。ネットの力で、必要な人に届けば嬉しいです。

「大きな目標」を達成するよりも、自分を大切にすることのほうが難しい

いろんな変化を経てきたこの1年。頭では納得できて上手くいっている!と思っていたのですが、とは言えストレスは溜まっていたようで。

これまでのわかりやすい外向的ストレスではなく、内向的ストレスによる症状が身体のあちこちに少しずつ出てきていることに、この年末気づいたりもしています。

これだけの変化、奨学金をいただいての進学、ただでさえ大変と言われる博士課程のしかも海外、加えて新婚生活。以前に比べたら余裕だ、と自分でゴール設定を高くしすぎて、気付かないうちに無理をしてしまっていたようです。

nemu
nemu

と書きながらも「そんなはずはないんだけどな」と思ってしまうほど、今もよくわかってないです。

でも、だからってどうしたらいいのかわからない。体調を崩すまで勉強してしまうし、仕事もどんどん入れてしまう。朝はゆっくりしたいのに、すぐにパソコンを開いてしまう。

こんな性格だからここまで来れたのだとも思う一方、ライフスタイルや周りの環境に合わせて自分もアップデートしていかないと。これは来年の課題になりそうです。

まとめ

国際協力の仕事っていろんな関わり方があるのですが、本当にこの仕事が好きな私は、とにかく全部の関わり方を知りたかった。その中でも一番入るのが難しかった国連で働いて勤務を終えた今年は、誤解を恐れずに言うと「やっと自分の人生が始まった」感覚でした。

何かを達成しなくてもいい、誰かの期待に答えなくてもいい。専門性や経歴を得ることができて、もう焦らなくてもいい。

じゃあ、何がしたいんだろう。自分はどんな人生を歩みたいんだろう。

達成したから楽ができる、という意味では全然なく。いろんな関わり方に触れた今、本当に自分が納得できる国際協力のために、私はどうしたいんだ、を悩み続け、そして今PhDとして新たな一歩に踏み出しています。

それは、真っ白な画用紙にまた一から線を描いているような毎日で、たまらなく嬉しい一方で、その自由さ故にストレスが溜まったりもしていたようです。

来年の自分は、これまでのように猪突猛進、我武者羅に進むのではなく、毎日を丁寧に、日常を大切に過ごす練習もしていきたいなと思います。

自分のためにした選択、それで得た日常を大切にできるように、今を楽しむこと、大切にすることができた、と来年の今頃思えていますように。

皆様も良いお年を!🎍